空々



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A day in the rain

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人間(銀杏BOYZ)

君が泣いてる夢をみたよ
君が泣いてる夢をみたよ
僕はなんにもしてあげられず
僕はなんにもしてあげられず
まわる まわる
ぐるぐるまわる
吐くまで踊る 悪魔と踊る
まわる まわる
ぐるぐるまわる
吐くまで踊る 悪魔と踊る

戦争反対 戦争反対
戦争反対 戦争反対
戦争反対 とりあえず
戦争反対って
言ってりゃあいいんだろう
まわる まわる
ぐるぐるまわる
吐くまで踊る 悪魔と踊る
まわる まわる
ぐるぐるまわる
吐くまで踊る 悪魔と踊る

まわる まわる
ぐるぐるまわる
吐くまで踊る 悪魔と踊る
まわる まわる
ぐるぐるまわる
吐くまで踊る 悪魔と踊る

君が泣いてる夢をみたよ
君が泣いてる夢をみたよ
僕はなんにもしてあげられず
僕はなんにもしてあげられず

そう
僕は天使なんかじゃない
君の名前は
神様なんかじゃない
あいつは ちっとも
仏様じゃない
そう 僕等は飯食って
セックスするだけの人間様さ
まわる まわる
ぐるぐるまわる
吐くまで踊る 悪魔と踊る
まわる まわる
ぐるぐるまわる
吐くまで踊る 悪魔と
あなたと踊る

君が泣いてる夢をみたよ
君が泣いてる夢をみたよ
僕はなんにもしてあげられず
僕はなんにもしてあげられず
まわる まわる
ぐるぐるまわる
吐くまで踊る 悪魔と踊る
まわる まわる
ぐるぐるまわる
吐くまで踊る 悪魔と踊る
戦争反対 戦争反対
戦争反対 戦争反対
戦争反対 とりあえず
戦争反対って
言ってりゃあいいんだろう
まわる まわる
ぐるぐるまわる
吐くまで踊る 悪魔と踊る
まわる まわる
ぐるぐるまわる
吐くまで踊る 悪魔と踊る

僕を呼んでる声がしたよ
僕を呼んでる声がしたよ
君はどこだ 君はどこだ
僕等はなんにも なんにも
できやしねえじゃないか
そう
僕は天使なんかじゃない
君の名前は
神様なんかじゃない
あいつは ちっとも
仏様じゃない
そう 僕等は
もがき苦しんでるだけの
人間様さ
まわる まわる
ぐるぐるまわる
吐くまで踊る 悪魔と踊る
まわる まわる
ぐるぐるまわる
吐くまで踊る 悪魔と踊る
まわる まわる
ぐるぐるまわる
吐くまで踊る 悪魔と踊る
まわる まわる
ぐるぐるまわる
吐くまで踊る 悪魔と踊る
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by Reo_Tokimasa | 2006-12-26 17:19

世界の終わり

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今朝目覚めると開いていた窓からの冷気で凍えるように寒かった
奪われた体温を取り戻すために 
30分ほどだろうか 頭の中で意味のないことをぐるぐると繰り返す
掃除をしてもすぐに汚くなってしまう
最近では落ち着くこともできない 自分の部屋にいた

外にでると そこは非情な寒さだけだった
いつもより 明るく 輝きに満ちた光の中で
残念なことに 僕は寒いということしか考えられなかった

最近理由あって「終わり」ということを考える
世界の終わり 季節の終わり 年の終わり 関係の終わり はじまりの終わり
云々 様々
それは共通して とても寂しくあり切なくもあり
同時に華やかであり嬉しいものであるように思う

結論として 「終わり」 とは
一番美しく 儚いものは 「眠り」 ではないかと
そういう結論でかたまりつつあります


全然ではないが関係のない話だが
世界の終わりとはどういうものなのか
何度か想像したことがある
想像というよりも 目に焼きついた景色が 
あくまでも直感的に あぁこういうものなのかな と

ここ最近 特に印象深いものは
夏 山形に行ったときバスの中から見た景色
外は嵐で 雨が降り 風が吹き 霧が立ち込める 暗い夜だった
平和で無機質なバスの中との矛盾を感じたときが 一つ

もう一つはいつだっただろう
池袋 友達のライブを見に行き 地下のライブハウスから
階段を上がりきった 景色
やはり外は暗かった
しかし 工事現場の光が眩しかった
道路のアスファルトが完全にえぐられ
鈍い黄色い色をしたフェンスが立ち並び
キリンのようなショベルカーが轟音とともに首を上下に振っていた
あぁこんな感じか と その時もまた思ったのを覚えている


想像という点では二つ

一つ目の世界の終わりは とても綺麗な気がする
全てがパステルカラー もしくは 明度の非常に高い コントラストのあまりない世界
暖かく眠りを誘うような風景

もう一つはより現実的な想像
クローンやらコンピューターに支配された 
もう一つの眠ってしまった世界
眠りながらにしてコンピュータを操り(操られ)
眠りながらに欲望を満たす そんな世界



なんにせよ僕の世界は 僕が死んだ時点で 訪れる
それが「終わり」というものかも知れない
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by Reo_Tokimasa | 2006-12-19 05:45

昭和ノスタルジー

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「ALWAYZ三丁目の夕日」という映画を見た
三軒茶屋にある レトロな映画館で
「嫌われ松子の一生」と二本立てで1100円
話は東京タワーの建設から完成
昭和30年前後の話

この映画が放映された前後
昭和ブームが起こったのも納得

自分は昭和62年生まれで
残念ながら昭和の時代の人間とは言えず
物心ついたときには テレビ 冷蔵庫 洗濯機はもちろん 
コンピューターなるものまで家にはそろっていた

今は平成時代であり
誰が望んだのか 情報化社会となり 今もこうして薄い板と向き合っている

この映画を見た正直な感想としては
自分も昭和の時代に生きたかった というものである
もちろん 今ほど便利でもなく 海外にも行く機会などほとんどないやろうけど
そんなことを抜きにしても
スクリーンに映し出されとった
風景 町並み 人間 システムなど全てが魅力的やった

同じ東京に生きる
東京タワーを横目に横断歩道を渡る毎日なのだが
別の美しさがある 当時の汚い部分は知らない 
それでもやはり 羨ましいというか 残念というか

多くの人が望んだ結果として 現在があり
自分もその一部として 今がある
文明の発展には重々感謝している
もちろんその気持ちは 普段の生活にはあらわれへんけど
けど 本当に皆 それを望んでたんやろうか

古き良きもの

温故知新

どれも矛盾しているような気がする
寂しい感じ

古いものを犠牲にして新しいものを追うんか
歩みを止めて古き良きものを守るんか

おそらく前者が選ばれ 今現在も実践されているのだろう
もちろん新しいものを追うことにより 古いものを守ることもできるんやろうけど
今のところそれがうまくいってるとも思えへんし
ぬん

結局なんやろう
時間は流れるし 地球はまわる 時代はめぐる
その寂しさが唯一の 救いであり 気休めなんかなー って
今思いました 
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by Reo_Tokimasa | 2006-12-12 02:40

あおいそら

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あの青い空は 僕らの空
あの青い海は 僕らの海
かけがえのない 君と僕は どこへ行くのか
君と僕は永遠に 手と手つなぎ どこまでも
尊い君よ 濡れた枕よ 限りない喜びよ 
(You&I vs the world / 銀杏BOYZ)

「空」
ブログのタイトルにもなってますが 僕は「空」っていう概念がとても好き
好きって書くと とても陳腐なものに見えてしまうのですが
他に良い言葉が見つからない いつもそう

何が好きって聞かれると 雰囲気とでも言いましょうか
この「空」の持つ 不安定な 曖昧な 雰囲気
広辞苑で調べると 「空」には 意外にもたくさんの意味付けがなされている


「そら」と読めば
それは一般的に天を指す言葉であり
不安定な状況や うそ いつわり を表すこともある
また 心がぼんやりして しっかりした意識がもてないさま 
根拠のない 実体のないことであることも

空(そら)を歩む
なんともメルヘンな言葉の集合体であるが
その意は 心が落ち着かず足が地につかないさま
確かに メルヘンとはそんなものなのだろう


「から」と読めば
中に物が入っていないこと
何も持っていない 何も伴っていない意
形だけで実質がともなわない 見せかけだけで 真実ではない意
その動作が本来の目的を果たしていない意


「あき」と読めば
隙間 
使用していないこと また そのもの
使う予定のない時間 ひま


「くう」と読めば
空中 空間 そら
そこに ものがないこと 空虚
かいのないこと むなしいこと また そのさま
むだ

仏教の観点からすれば
万物はすべて因縁によって起こる仮の相で 実態がないということ
大乗仏教では 自我も存在も空であるとして 人法二空を説く
⇔有


こんな感じ
不安定で曖昧な空が 毎日頭の上には広がってるわけです
だから人は空が好きなんやと思います
憧れというか
空を飛ぶことに憧れている様に
心が不安定な様にも憧れているように思います
少なくとも 僕はそんな気がします
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by Reo_Tokimasa | 2006-12-05 02:43

photograph

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僕は写真が好きだ
それは自分でもわかっている この主張に意味がないことも
写真を撮るにあたって そろそろ好きなだけから抜け出したい
自分の中で 何かを固め丸めて取っておく
きっと何かしらの安心を得たいからなんやろうけど

写真

光をもってして世界を切り抜く
情報のかたまり 時として歪み

日常を非日常に 非日常を日常に

撮った人と見る人
この誤差
誤りではないと思うのだが
伝えたい事云々
何かを伝える為の手段ではなく
何かを感じる可能性としての 「光」を願う


英語で写真を指すphotographは、ギリシア語のφωσ phos (「光」)とγραφισ graphis またはγραφη graphê (「鉄筆」または「絵筆」)から来ており、合わせて、光を使った描画という意味である。 略してフォトという。 デジタル写真では写真といわず画像と呼ばれるようになりつつある。(wikipediaより)

上の写真は wikipediaに従えば 画像である
けどそうであって欲しくない
見たまんまありのままを写したいとは思う

そう考えると 写真(画像)は既に非現実である
自分の中でそれを 日常にするのは容易である
それじゃあ 見た人がこの非日常を 日常として感じることはできるのだろうか
できる と 思う
僕は写真が好きだ


書いてて気持ちが悪い
でも やめない
そのためのブログだと思ってます
以後よろしくお願い致します 2006年12月4日4時45分 時政 令雄
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by Reo_Tokimasa | 2006-12-04 04:46


‡‡‡‡ 日常を非日常に ‡‡‡‡‡‡‡‡ 非日常を日常に‡‡‡‡
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