僕は写真が好きだ
それは自分でもわかっている この主張に意味がないことも
写真を撮るにあたって そろそろ好きなだけから抜け出したい
自分の中で 何かを固め丸めて取っておく
きっと何かしらの安心を得たいからなんやろうけど
写真
光をもってして世界を切り抜く
情報のかたまり 時として歪み
日常を非日常に 非日常を日常に
撮った人と見る人
この誤差
誤りではないと思うのだが
伝えたい事云々
何かを伝える為の手段ではなく
何かを感じる可能性としての 「光」を願う
英語で写真を指すphotographは、ギリシア語のφωσ phos (「光」)とγραφισ graphis またはγραφη graphê (「鉄筆」または「絵筆」)から来ており、合わせて、光を使った描画という意味である。 略してフォトという。 デジタル写真では写真といわず画像と呼ばれるようになりつつある。(wikipediaより)
上の写真は wikipediaに従えば 画像である
けどそうであって欲しくない
見たまんまありのままを写したいとは思う
そう考えると 写真(画像)は既に非現実である
自分の中でそれを 日常にするのは容易である
それじゃあ 見た人がこの非日常を 日常として感じることはできるのだろうか
できる と 思う
僕は写真が好きだ
書いてて気持ちが悪い
でも やめない
そのためのブログだと思ってます
以後よろしくお願い致します 2006年12月4日4時45分 時政 令雄